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ぼんやりブログ。

ゆるーく生きていたい。考えたことなどを書いていきます。

「◯◯は甘え」という言葉の真理:(2)甘えだと言う側の心理について

※この記事は「◯◯は甘え」という言葉について、それは本当に甘えなのか、

またそういった言葉が生まれる背景とは、そしてその甘えとされる状況から

脱却するにはどうすれば良いのか、を考察するためのものです。

あくまで一個人の捉え方、考え方によるものなので、

人によっては考え方の違いから不快な思いをする可能性もあります。

また「◯◯は甘え」という考え方を否定するための記事でもなく、

むしろその考えにも一定の正しさがあるとした上で、

その「甘え」から具体的にどう脱却して行くかを考察するための記事です。

前置きが長くなってしまいましたが、上記についてご了承頂いた上でお読み下さい。

 

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前回の記事では「◯◯は甘え」は本当に「甘え」なのか、について考えてみました。

 

 

この記事ではその言葉が生まれる状況理解のために、 

その言葉が発せられる背景や目的、問題点等について、

①善意で言う場合、②悪意で言う場合、③無知から言う場合

の三つに分けて、甘えだと言う側の心理から考えてみます。

 

 

 

 

 

 

「① 善意から言う場合」

 

 

人によっては善意から、なんとか気合いで乗り越えてほしい、

その辛い時こそなんとか踏ん張って立ち上がってくれ、という思いを

込めてあえて厳しくその言葉を投げかけていることもあると思います。

 

 

そうやって背中を押してもらうことで乗り越えられることはあると思いますし、

実際にそうやってもらうことで立ち直った経験がある人なら、

尚更同じようにするかもしれません。

 

 

しかし問題としては誰しもがそのやり方で前に進めるとは限らないということだと

思います。

 

 

気合いや根性で乗り切れるガッツがある程度ある人なら良いのですが、

そういうのが苦手な人もいると思います。

 

 

そもそもそういった根性がないのが問題で、

根性をつけることでしか乗り切れないからそうするんだ、ということだとしたら、

本当にそれしか方法がないのか、

それ以外の方法についても考えてみる余地はないのか、

また誰しも全員が根性をつけることができるのか、

このような点については少し疑問が残ります。

 

 

 

 

しかし、恐らく善意からこれに近い言葉をかける人の心情としては、

きっと "どうしてあげていいか分からない" というのが本心なのではと思います。

 

 

当人が苦しんでいて、それを側で見ていて、でもどうもしてあげられなくて、

もちろん一番辛いのは本人だと思いますが、

家族や友達、恋人もきっと同じように辛いんだと思います。

 

 

それでつい、どうにかしてあげたい、助けてあげたいのにどうもしてあげられない

という気持ちの余裕の無さから、そういった厳しい言葉を発してしまったという、

そういうことも多いのではないかと思います。

 

 

気合いでなんとかなると本当に思ってる人もいるかもしれませんが、

もしかすると、その言葉の裏側にはその人なりの思いやりと複雑な感情が

あるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

次は

「② 悪意から言う場合」についてです。

(※ここでは「◯◯は甘え」と言われる側の肯定のために、

そちら側に立ったあえてやや一方的な書き方をしています。)

 

 

 

 

これはもうひどい話ですが、弱い者いじめをするように苦しんでる人に対して

容赦なくこういった言葉を投げかけます。

 

 

酷い時には無責任にもっと酷いことを言ったりする人もいます。

 

 

 

 

でも実は、こういった言葉を投げかける人の背景にはいじめと同様のメカニズムが

存在するのではないかと思っています。

 

 

要するに、そうやって他人をいじめたい人は余裕がないのです。

ストレスの吐け口を求めているのです。

自分のそのイライラを誰かにぶつけたいのです。

その標的にされてしまっている、そういう状況だと思います。

 

 

 

 

また、自分自身なんとか自分を鼓舞して頑張っているという人だと、

そういう弱気な人を見るとイライラする、ということもあるかもしれません。

 

 

それで不快だ、という思いからそういった言葉を投げかけることもあるかと思います。

それも要するに自分の不快な思いを相手にぶつけたいのだと思います。

 

 

 

 

つまりは言われる側(鬱や不登校などで悩んでいる側)の問題ではなく、

言う側の都合による問題です。

 

 

となると、もはやその言葉自体、言う側のための言葉でしかなく、

その人達のフラストレーションが解消されることにしか意味がありません。

 

 

 

 

なので、思いやりも何もなく、ただ自分自身の不快な思いからそういったことを

言う人の言葉は、気にする必要は一切ないと思います。

 

 

「◯◯は甘え」と善意もなく言われたら、その人は何かしらネガティブな感情を

持っていて、それを解消したいだけなんだろうな、と捉えるのが正しいと思います。

 

 

 

 

現に、「◯◯は甘え」と言われて、「よっしゃ、気合い入れて頑張るか!」と

良い方向に向かうなら何の問題もないのですが(むしろありがたい)、

得てしてそうなることはなく、むしろ気持ち的にダメージを受ける、

余計に追い込まれる、といった悪い方向に行くことが多いと思うので、

であれば尚更気にしないのが一番なのではないかと思います。

 

 

 

 

しかし、もし余力があれば、なぜその人達はそういった言葉を投げかけてくるのか、

その背景にはどういった理由や目的があるのか、などを考えてみると、

より本質的な部分が見えてくると思います。

 

 

自分には自分の、そして相手には相手の事情があり、

様々に複雑な要素が絡み合ってそういった状況になっていること、

またそこには人の持つ弱さなども絡んでくることが見えてくると、

より客観的な立場から冷静に判断もできると思います。

 

 

 

 

 

 

最後に

「③ 無知から言う場合」です。

 

 

ただ純粋に本気で困っている人の事情を知らず、

多少頑張れば乗り切れるのに何を怠けているんだと思っている人

(特に自分も本気でやったから前に進めたんだと思っている人)も

少なからずいると思うのですが、

そういった訳で本人も悪気なく言っている場合が多いと思います。

 

 

この場合も、特に気にしないのが一番だと思います。

それ以上のことはないかと思います。

 

 

 

 

 

 

以上、「◯◯は甘え」という言葉が発せられる状況について、

言う側の心理から自分なりに大きく三つに分けて考えてみました。

 

 

最後に「◯◯は甘え」とされる状況からどう前に進んでいくかを考察したいので、

今回の記事を踏まえて、次の記事でそのことについて触れていきたいと思います。

その中では「◯◯は甘え」という言葉の持つ良さも含めて考えていきます。

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