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ぼんやりブログ。

ゆるーく生きていたい。考えたことなどを書いていきます。

人はなぜ生きるのか

このテーマはもう中学生くらいから延々考え続けて一応自分なりの答えは出ているのですが、どうしてもうまくいかない時などは現実逃避のためにこのことを考えてしまいますね。

 

 

自分ってなんで生きてるんだろう。

人ってなんで生きてるんだろう。

 

 

たいていこのことを考える時は「純粋な探究心」か「現実逃避」のどちらかかと思います。

 

 

まず"生きている"というと自動詞ですが、"生み出されてきた"のが真理だと私は思います。

なぜなら生まれる時に「よし、生まれるぞ!」といった自分の意思で生まれてきていないからです。

 

 

どうがんばっても親によって生み出されてきたことは否定できないでしょう。

また、人類そのものが生物の進化によって生み出されたものです。

もっと言うと生物自体も、この地球自体も、宇宙自体も生み出されてきたものです。

(そう思うとビッグバンってなんなんだ)

 

 

かなり大きいスケールにはなりましたが、すべての元を辿って行くととりあえず宇宙の始まりまで行くので、ここから全てがスタートし、全ては繋がっていると考えていいのではないかと個人的には思っています。

 

 

なので、人はなぜ生きるのか、という答えは、もっと言うと生き物はなぜ生まれてきたのか、地球はなぜ生まれてきたのか、宇宙はなぜ生まれてきたのか、といった流れの延長線上にあり、全ての大元とされているビッグバンがなぜ起きたのか、といったところにまで集約されるのではないかと考えています。

 

 

端的に言うと、たぶん人が生まれてきたことに意味なんて無いんです。

ただし、こう言うと虚無的ですが、私は人生とは情熱的でドラマチックな素晴らしいものだと思っています。(この論理は矛盾しません)

 

 

人が生まれてきたことが自然発生的なもので、生まれてきたことに意味はないとしても、我々人間は我々の脳が創りだす世界に生きていて、目や耳などで物を感知し、感情や理性でものを捉え、様々な意味付けや反応をしながら生きています。

 

 

つまり、自然科学的に考えれば人が生きることに意味はないかもしれません。

でも、他でもない我々にとっては生きる意味があると。

また意味はなくても楽しみや価値を感じることができるのであれば、

それはもう十分に生をまっとうする意義があると考えています。

 

 

私自身これまで様々な人生経験を通して、色々な思いをしてきました。

決して生きていることは無駄ではないと思います。

しかし、生き方や方向性に苦しむ時、ふと根本的なことを思い返してみては、今ある常識や様々なしがらみが人の創りだしたものであることを思い出します。

 

 

本当は社会なんてないし、常識なんてないし、もっと自由なんじゃないのかなと思います。

 

 

それでもどうして人はこうなのか、社会はこうなのか。

でも、それが人という生き物なのだろうと思います。

 

 

理性は万能ではなく、我々は生き物としての本能に大きく影響を受けます。

 

 

様々な感情が判断に影響をし、我々を規定しています。

みんな生きるために自分を守ろうとしますし、時には他人を攻撃しようともします。

それは、人という動物だからです。

 

 

ここまで考えて改めて「人はなぜ生きるのか」を考えます。

そもそも"人はなぜ生きるのかを考える意味"を考えます。

私は、より自分の生き方に納得したいことと、純粋な探究心の2つです。

 

 

人の数だけ答えがあると思いますし、年齢や人生の局面で答えが変わることもあるでしょう。

 

 

それでも考え続けます。

人とはそういう生き物なのだと思います。

 

 

一通り考えるとすっきりするので、ストレス解消という目的もあるのかもしれません。笑(終わり)

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