ぼんやりブログ。

ゆるーく生きていたい。考えたことなどを書いていきます。

「何で生きてるの?」 人の行動原理について考えてみた

自分の中では「この世の真理に近づきすぎた者は、消される...!」みたいな考えもあったりはするのですがそんなことお構いなしにこんなことを日々考えてしまうので、今日もぼんやりマックでアイスコーヒー飲みながら考えてました。(雨止まないなー、傘ないよー)

 

 

とりとめもないことばかり考えて、考え事をするのが好きなんだね、って傍から見ると思われるかもしれませんが、私はいたって考え事が大好きです

寝食を惜しんで考えることもあるくらいですので、時代が違ければ完全に職業は「哲学者」だったことでしょう。そうなると鬼嫁をもらうことになるのか...(古代ギリシャにおける哲学者の妻は鬼嫁が多かった)平成の世に生まれたことを感謝します。(そもそも彼女もいねえ...)

 

 

さて、いやまあ「人って何で生きているんだろう」とか「社会はどういう方向に向かってるんだろう」とか「何で人は幸せを求めたり」「社会の問題は解決しないんだろう」とか考えると、「そもそも人の行動原理とはなんだろう」ってとこに行き着きます。

これって考えてみると結構基本的なことだとは思うんですけど、なかなか普通に生活していてこんなこと考えませんからね。

 

 

そこで、まず思うのは「人」の行動原理ってそもそも「生き物」の行動原理の上にあると思うんですよ。すなわち「子孫を残そうとしたり」「自分が生き延びようとしたり」とかするやつです。そこをベースとして人は更に高度化・複雑化した行動原理も持っていますが、ごく基礎の部分では同じだと思います。

 

 

そして、全ての行動はその行動原理に従って行われていると思います。というのも、私達の「意思」は自分の脳で作られているもので、その意思がどういう方向性で作られるかというと、おそらくこの行動原理に基いて作られているんだと思います。「それが自分のためになるのか」といったことです。

なので、まわりまわってもまったく自分にメリットの無い行動って人はできないんじゃないかと考えています。(一見自分のためにならないように見えても、その行動の動機付けには行動するに値する何らかの意味を見出しているってことです)

 

※もちろん全ては科学的に証明されている訳でもなく、あくまで数ある説の中から私自身がこういった考えの立場をとっているだけであり、正解は分かりません。将来的にこういった考えは間違っていると証明される日が来るかもしれませんし。

ただ物事を考えるにあたっては論拠として何らかの立場に立って考える必要があるので、私はこういった理論を信じて考えているというだけです。

 

 

 

ということは、世の中の人の行動って全てそういった「人の行動原理」に従って行われていると考えられます。そもそもこういった一見とりとめのないことを考えたりするこの行動さえ、人の行動原理の範疇内なんだと思います。それが自分にメリットがあるからこういった行動をとれるんですね。

 

 

言ってしまえばその行動原理を超えた範囲の行動を人はとれないということではないでしょうか。例えば、自分にとって「行動する動機付けの得られない行動」はとれないんじゃないかと思います。

もっと言えば「生き物としての行動原理」更には「宇宙の法則(物理的法則やその他の法則)」に大きく縛られていると言えます。そもそもの人や生物が生まれた起源を考えると多分そうだと思うんですよね。

 

 

なので、社会に生きていて色んな価値観や人がいて、色んな立場があり、楽しさや生きづらさや本当にたくさんのことが世の中にはあると思うんですけど、どうしてそういったことが起こるのか、どうして人や物事が変えられないのか、なども全てはここに理由があると思います。みんな「人の行動原理」に従って生きてきた結果です。これからもずっとそうでしょう。

 

逆に考えるとその範疇内であれば自分にできることもたくさんあると思います。もし世の中を良くしたい、自分始め人を変えたい、ということがあればこのことを念頭に置くと結果が出やすいんじゃないのかなと思います。むしろその範疇を超えたことはきっとできないでしょう。あくまで人は自分のためになることしかできません。

 

 

 

おっと、そろそろ戯れ言も過ぎたのでこの辺で。

きっとこういった記事を書きたくなるのも、人の行動原理なんでしょうね。

ここまで読んでくださった方、それも人の行動原理なんでしょう。

ありがとうございました。

 

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