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ぼんやりブログ。

ゆるーく生きていたい。考えたことなどを書いていきます。

「孤独」について考える。

「人は一人では生きていけない」であるとか「人との繋がりを大切にしよう」とか、SNSの隆盛や昨今の"コミュニケーション問題"のような「他者との関係」や「孤独」に関する話題は後を絶ちません。

 

就職活動でも「コミュ力」が話題になりますし、学校や社会でも「一人にならないよう」「一人だと思われないよう」注意します。

 

「ぼっち」ではダメなんです。

それは寂しいヤツだから。「友達のできないダメなヤツ」だから。

だから時には"友達ごっこ"もする。それも仕方のないことかもしれません。

 

「本当の友達」とか「深い付き合い、浅い付き合い」とか実に様々なワードも飛び交います。外交的、内向的、なんかも関連して話題になりますね。

そして一般的には友達がたくさんいて、豊かな人間関係があることが良しとされています。(反対に友達もいない、人との繋がりもない、というのはNOとされます。)

 

 

しかし、冷静に考えて、全員が全員そんな人間関係築けません。生まれ持った性格的に人付き合いの向いている向いていないがありますし、全員恵まれた環境で育つ訳じゃありません。

人間関係を築くと言っても当然当人の自尊心や劣等感の強弱といったような心理的安定状況や培ってきた対人スキル、気質、など実に様々な要因が関係します。

これだけ多種多様な人がいる世の中ですから、それが全員「コミュ力OK」な状況は現実的にありえないでしょう。

 

 

さて、世間とは孤独を良しとしないものです。けれど、一方で孤独が持つ力については確かに世の中に認められています。

「孤独 本」などと検索すれば多くの著書がヒットするでしょうし、歴史の偉人達にも孤独を愛した人というのは多かったようです。

一般に孤独は「創造性を高める」「精神が向上する」といったことが言われます。同様の意見が多くあるので、概ねこのことについては異論はないでしょう。

 

 

ここで言いたいのは、「孤独になってしまう」ことと「孤独に(自ら望んで)なる」というのでは天と地との差があるということです。

前者の場合は、本人も辛いですし、あまりメリットはないでしょう。

けれど、後者の場合であれば、それは大いに当人のためになると思います。実際、私も数ヶ月誰とも連絡をとらない生活を続けて、それは感じました。

 

 

何事も、自ら積極的に行うのとそうなってしまうのとでは結果が大きく違います。

もし、今やむなく孤独になってしまっているとすれば、いっそ自ら孤独を受け入れるのもまた良いかもしれません。その時、それまで「孤独になってしまっていた」のが、「自ら孤独に向かっていく」という状況に変わります。これはその状況に対して自分で主導権を握ることになるので、次第に状況のコントロールがとれるようになってきます。

例えるなら、それまで川に流されていたのが、自ら川の流れに沿って泳ぐようなもの。そうなれば次第に岸へはたどり着けるでしょう。

 

 

世間一般の価値観の上で生きるのなら、「孤独」は向かないかもしれません。お休みの日は知人と飲みに行き、価値観を常識に合わせ、日頃から積極的にSNSなんかもやるべきでしょう。

ですが、もし自分の世界を深めていきたい、独創性を高めていきたいというのであれば、自ら積極的に孤独になる価値は大いにあると思います。友達はそれなりに減るかもしれませんが。

 

 

自分は孤独の時間を始めてからまだまだ時間が足りません。高度に自分を深めている知り合いがいることもあり、己の浅さを痛感します。数ヶ月やってやっと少し自分が深まった、精神的に少し向上したという位です。これが長年そういう時間を過ごしている人や、時に宗教などでそういった修行に出ていく人のことを思うと、どれほどの差があるのだろうと思います。孤独は精神的、哲学的であり、また非常に高度な訓練です。

 

 

生き方は当然人それぞれですが、時に世間の常識から離れてみるのもまた良いものだと思いますよ。改めて世間の良さを感じる部分もありますしね。(終わり)

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