ぼんやりブログ。

ゆるーく生きていたい。考えたことなどを書いていきます。

劣等感も罪悪感も、全ては自分のためのもの。

「人の行動原理」を考えた時、人は誰しもその行動原理に従って生きていると思う。

そしてその行動原理とは「生きること」であり、なぜなら私たちは「生き物」だから、「生きること」を目的として行動していると考えられる。

だから、競争社会で勝とうともするし、友達や家族といった仲間を大事にしたり、結婚をして家族を持ったりもしていく。

そして、子孫繁栄、種として存続をしていこうとするものなのかな、と思う。

 

こういった少し視点の高い位置から考えてみると、つまりは自分たちが持つ「劣等感」や「罪悪感」、「嫉妬」も「プライド」も「自己肯定感」などのあらゆる心の作用さえ、「生きるため」という目的をもって出てくるものなのかなと思う。

つまり、己の生存確率を上げるために必要な心の作用として、それは起こる感情なのかなと。

 

最近読んだアドラー心理学系の本の言葉を借りれば、フロイト的な因果関係(こうなったらこうなる)ではなく、目的論(それは目的を持って起こる)ということになる。

なので、優れた他人を見て誰もが劣等感を持つ訳ではなく、劣等感を持つ人もいれば、持たない人もいて、それは各々の潜在意識が「劣等感を持つべし」との指令を出しているかいないか、なのではないか。

それはきっと、それぞれの理由があり、必要があって、起こっているのかなと。

 

でも逆に考えると、自分の潜在意識が勝手に持った感情なのだから、もしかすると必要なければ捨てていいのかもしれない。

本能的に劣等感を抱えたとしても、よく考えてみると、劣等感を感じる必要はなく、人は人、自分は自分、と思えたら、それはきっと必要はない。

潜在意識の領域での判断に対して、顕在意識レベルで介入するのは少し難しいとは思うけど、自分の内なる思考に対して理解を深めて行く事ができれば、きっと自分は変えられると思う。

 

劣等感も、罪悪感も、どんな負の感情でさえ、不本意ながらに自分の潜在意識が生み出したとっさの判断で、なるべくしてなっているとはいえ、きっとそれは変えていける。

自分のために自分を傷つけていると気づけたら、それは「やめて良かった」ことなんだと気づける。

今一度、人の行動原理から考えて、人は皆自分のために生きているし、それが生き物というものだと思うし、つまりは自分のための負の感情で、だから自分のために捨てて良い感情なんだ。

そうやって気づいて少しずつ荷を降ろして行けたらと思う。

 

(終わり)

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