「自分」の一番の敵は「自分」。
なんだかんだ言っても、結局はここなのかと思う。
「自分」を攻略しないといけない。
世の中が悪いとか、誰が悪いとか、それも1つ間違いないとしても、でもそれに対して結局どうするかは「自分」にかかってる。
嫌な奴がいる。じゃあ「自分」はどうする。
世の中が悪い。じゃあ「自分」はどうする。
文句を言うことも、恨むことも、それ自体は自由で言いと思う。
嫌なことがあったら吐き出せば良いし。愚痴くらい言ったら良い。
でも、不満を言ってても現実が何か変わる訳じゃないことくらい自分でも分かっていて、だけど、そうすることくらいしかできない。
要するに、「自分」が都合良く動いてくれない。
「自分」が問題を解決するように動けない。
それは、解決のためにどう動いていいか分からなかったり、そもそもそういう時に不満を言うことくらいしか見聞きできなかった環境があったのかもしれない。
色んな選択肢があって「不満」を言いたい訳じゃない。
そうすることくらいしか知らない、ということもあると思う。
もし、身近に、またはこれまでの人生のどこかで、困ったことがあった時にどうすれば良いかを見せてくれる人がいたならば、自分もそうできる人間になっていたかもしれない。
でも、そんなことを”知らないことを知らない”私たちだから、それは難しい問題なんだと思う。
自分を攻略するのは難しい、でも、自分のことだからこそ変えられるとも思う。
そして、自分を攻略した人は強い。ビジネスでもプライベートでも強いと思う。
そういう人を少なからず見てきた。
そういう人達は自分自身のことをよく分かって、それをうまくコントロールしていた。
そう思うと、自分はまだコントロールできていないなと感じる。
やりたいことをやれたり、やりたくないことをやらないようにできたり、自分の潜在意識が暴走しないように見守ったり、うまくそれを誘導したり、そういうのがまだ上手くない。
どうすれば良いかはよく分からないけど、1つのテーマとしては「解放」「許可」といったような、自分自身の縛りをとることかと思う。
固定観念や思い込み、常識といったものに”縛られず”、むしろ適度に緩めて手綱をとっていく。コントロールしていく。
「○○しなくちゃいけない」「○○はダメだ」
社会生活の中でそういった「ルール」を沢山学んではきたけど、見方を変えればそういうのは全て自分への縛りだ。
それが”過剰になっていないか”、”本当にそうか”は一考の余地があると思う。
知らず知らずのうちに自分の縛りになっていることもある。
周知の通り、我々の自我にあたる「顕在意識」に比べ、「潜在意識」の方が領域としてははるかに大きいとされている。
その「潜在意識」という無意識な縛りの影響をできるだけ無くし、より素直に、適切に自分のコントロールをとって行きたいと思う。