ぼんやりブログ。

ゆるーく生きていたい。考えたことなどを書いていきます。

頑張ることの美談が過ぎるのでは、日本。

「努力は報われる」

「諦めなければ夢は叶う」

「誰よりも努力をしたから」

 

といったような”頑張ること”の美談がやや過ぎるのでは、と思うようになりました。

というのも自分自身これまでそういった美談を信じて頑張り続けてきたからです。

  

こういった考えを改めるきっかけとなったのはこちらの本でした。

諦める力(為末大/2013) ←※リンクはAmazonです。

 為末さんはツイッターでも考えの深いツイートをよくされていてよく見ていたのですが、この本も為末さんらしい深みのある本でした。

「諦める」というと日本ではネガティブな意味で捉えがちですが、むしろ戦略的に諦めることの必要性などについて書かれており、実際に為末さんご自身が短距離を"諦めて"400mでメダルを取っています。

 

「諦める」ことは悪いことではありません。むしろ、見方を変えれば「諦めない」ことは「固執している」ことでもあります。

また、努力に関する美談の危うさとしては、成功したごく僅かの人がそれを言い、失敗した人の方が圧倒的にいるということです。

 

”努力が報われた”人だからこそ、「努力は報われる」と言える。

”努力が報われない”人がフィーチャーされることはありません。

ここにトリックがあります。

 

 

今思えば、日本は色々と美談が多いかもしれません。

「皆平等」という思想のもと小学校のリレーで全員一緒にゴールしたり、

「頑張ればきっとなんとかなる」といった思想があったり、

他にも身の擦り切れるような想いの先にある奇跡みたいなものに弱い気がします。

(大事な誰かを待ち続けるとか、想い続けるとか)

 

そういった美しいものに心惹かれる精神性は良いと思うのですが、それをあたかも普遍的なことのように報じる風潮はちょっと無責任かなと思います。

冷静に考えれば皆平等な訳ないですし、努力が皆報われたら皆夢叶ってますし、たいてい美談は美談でしかない。いわばフィクションです。それが事実になる人もいますが。

誰かが夢を追って不断の努力を続ける傍らで、遊びながら圧倒的に超えていく誰かがいます。そういった事実も同じくらい広まった方が健全ではないでしょうか。

その上で、夢を追うのかどうかの選択肢が持てると良いと思います。問題は、そういった部分で与えられている情報が偏っていないか、ちゃんと分かっているか、です。

 

 

昨年自分が転職しての経験もあるのですが、今の仕事は自分に向いていて、正直あまり頑張らなくても結果が出せています。逆に、これまでの経験上どれだけ努力しても人並み以下にしかなれないものも本当に沢山ありました。

しかし、今この文章を書いていて「”正直あまり頑張らなくても結果が出せています”」というのは自分でも怠惰でダメなことだと感じてしまいます。

もしかすると、そういった”汗水流して苦労しなければ”という考えが、日本の非効率な労働環境などにも繋がっていくのかもしれません。

しかし実際は、"汗水流さなくてもできること"をやった方が生産性は上がるのです。

あくまでやり方にも美しさを見出すような、日本人らしい部分だと思います。

(だからこそそういった部分でドライな海外に負けるのはあると思います)

 

 

「頑張ること」の美しさを一回忘れて、ズルするくらいのやり方でもっと結果出していった方がいいのでは。なんて最近は考えてます。

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