人に好かれようとする生き方は地雷を踏む。
「人に優しく」
「思いやりを持って」
「親切に」
「丁寧な」
そんな生き方が良いものだと信じて生きてはきたが、やっと目を覚ましたので投稿。
はっきり言って、もちろん一理はあるしケースバイケースではあるものの、これを鵜呑みに生きると地雷を踏む。と思う。(少なくとも自分は何度も地雷を踏んでいる)
地雷ってどういうことかというと、別に親切にして欲しくない、というかお前のこと嫌いなんだよ、という人に対しても親切に接してしまったり(相手としては"うざい"に尽きる)、
コンビニやスーパーの店員に対しても過剰に丁寧に対応しようとしてしまったり(相手にもよるが、店員としてもあんまり丁寧にされると逆に"うざい"ことは多々あると思う)、
あとはちょっと困っている人を見るとすぐ助けようとしてしまったり、やたらリードしようとしてしまったり、面倒見ようとしすぎたり、、、、
まあ一言で言えば「うざい」に尽きるわけです。
そうです「うざい」のです。
全く、今まで何度と無くそういう反応をされたことか。←※完全に自分が悪い
まあそもそも文字通り「人に好かれよう」というのは視線が自分に向いています。
要するに「自分のため」という訳です。
「良かれと思って」というのも結局は"自分がそう思った"だけで"相手がどう思った"かは分かりません。
厳しく言えば独りよがりであり、自己満であり、おせっかいであり、迷惑な訳です。もう半泣きです。
それに、表面上では合わせていても本当に自分と相性の合う人なんて限られています。そして相性の合う人の場合、好かれようとしなくても自然と関わりが出てくると思いますし、逆に人に好かれようとしている卑しい自分では、好かれる人にも好かれないと思います。(これは自戒です)
人に好かれようというのは依存です。
自分一人で自立できないから、人を頼ろうとします。
本当に好かれる人というのは決して依存はせず、あくまで精神的・心理的にも自立した上で、人に好かれようと相手に多くを与えます。
そういう余裕のある人は自然と人を引き付けますし、一緒にいる人も居心地が良いはずです。
(分かっていても、それができない自分が情けなく、苛立ちを感じますが。)
これは自分への反省ですが、まずは人に好かれようとするのをやめること、一人でも大丈夫だという心理的自立を目指すこと、その上で余裕を持った、相手を尊重する態度で人に接すること。これを目指していきたいです。
「好かれよう」とせず、「好かれる」。
そこまで到達できたら格好良いですね。