最近改めて生きづらさを感じる...
(そんな明るい話でもないので、似た境遇にいる人の話を聞きたい、という感じの人じゃないと読むのはおすすめしません...)
いつからこういう感じだったのかを思い返すと、中1の冬くらいまでは特に不安や恐れもなく気楽に生きていたと思います。
友達も普通にいたし、キャラも明るかったかと。
それが、ちょっとしたいざこざでそれ以降周囲の目が怖くなって、そのあたりのタイミングで親にも強い否定・拒絶を受けるというのが重なって、そこから完全に他人に対して警戒してしまうようになり、常に不安がつきまとうようになりました。
普通がどうかは分からないけど、今でも他人が怖いし、距離感の掴み方が分からない。
そういうのが多かれ少なかれ誰にでもあるとしても、その度合いは人より程度が大きい気がしてます。
特に苦手なのが人の多く集まる場で、どうしてもそういうところだと浮いてしまう。
なんとなくこう「人と違う」というのがあって、話が合わせられない。
ずっとある生きづらさも、集約すると「自分が浮いている」、「馴染めない」、「溶け込めない」、とかそういう辺りが大きい気がします。
やっぱり社会の中で生きている以上、そこでうまく適合できていない感覚というのはつらいんだと思います。
考えてみると、生きづらさを感じる時って大体がそういう時かもしれません。
でも、改めて考えてみれば、機械と違ってそれぞれ個性を持った人々の集まりなのだから、その中でどうしてもちょっと人と違うケースがあるのも、仕方がない気がします。
周囲から「普通であれ」と求められるのもつらいですが、まずは自分自身に対して、「どうして自分は普通でいられないのだろう」と責めるのではなく、それは自分が悪い訳でも、また世間だけが悪い訳でもなく、世の中が完璧でない以上、仕方のないことだと捉えてもいいのかもしれません。
きっと世の中には誰が悪いわけでもなく、争いや病気などを無くせないように、ただ人の力で乗り越えるにはまだ難しいことがたくさんあるんだと思います。
多様性を認められず普通を求めてしまうのも、そういう難しさの一つなのかなと。
だってもし仮に社会を形成する必要がなかったら、その中で普通である必要もない気がします。
なので、少なくともそこで悩むことや求められることはあっても、自分自身では自分を肯定して良いと思います。(あくまで他者の否定ではなく自分の肯定)
とりあえずは、自分が少し世間一般的な人とは違うタイプなんだなということにしておいて、じゃあ「その状態で」どうしていこうかな、を考えるのがいい気がします。
おそらく、自分を「普通」にしていこうと思うと難しさもあって気持ち的にもつらいかなと。(マイナスからのスタートみたいにもなりますし)
今のままで時折出る良さがあればそれをもっと意識したら良いですし、逆に苦手だなと思う場面についてはなるべく回避するように意識したり。
あとあくまで自分の場合はですが、普段はあまり前に出ないよう、目立たないようにして、周囲の期待を受けないようにするのが良いのかなと思ってみたりもしています。
きっと社会の中ではその中心を担うべき個性を持った人たちがいて、一方ユニークさを持っている人はそことは違ったところで違った役割を果たすべきなんだと思います。そして、それはどちらも必要な役割だと思います。
やっぱりこういうテーマだと中々考えがまとまらないですが、自分への備忘録兼考え整理がてらタイトルにあることについて書いてみました。