ぼんやりブログ。

ゆるーく生きていたい。考えたことなどを書いていきます。

どうやって人生を挽回するか

「普通」というのが実際的な普通ではなく社会的に正義とされる「普通」についてのことになるのだけども、その「普通」の人生を歩めないケースの人の場合、どうやってそれを挽回するかというのが1つの課題となる。

 

「普通」に親に愛されて、

「普通」に友達や恋人ができて、

「普通」に何かを頑張って社会に出て家庭を持って、等。

 

また、彼らにとってはそれはしごく当然のことで、それを普通に享受できない人が理解できない。

というより理解する必要がない。(彼らの周りもみんな普通だから)

 

でも、それは普通じゃない人からすると、この壁はとてつもなく大きい。

 

普通じゃなかった場合の多いケースはまず親かと。

客観的にわかりやすい虐待等といった場合もあれば、客観的にも主観的にも難しい微妙な親の性格に起因するケース。

神経質だったりコンプレックスを抱えていたり、そもそも親だって一人の人間で完璧ではないから余裕や教養のない親も当然いる。

 

あとは両親に問題がなくても学校での人間関係でトラウマを抱えるケースや、明らかな外的要因がなくても何らかのきっかけで心に難しさの現れるケース、あとは発達障害やその他の生来に受け持つことが要因のケース、等々。

 

そういったもろもろを総括して「生きづらさ」を抱えたケースとし、一方そういう壁にぶつからない「生きやすい」ケースがある。

実際は一様じゃなく「生きづらさ」から「生きやすさ」にかけてスペクトラム状に段階的に相当数の人がいるけど、それでもこう世間一般的に作られた「普通」のイメージが大きくあってそれが社会的な正義になっている。

 

問題は「生きづらさ」そのものに加え、その状態で「普通」の世の中を生きなければいけないことの二次被害

特に日本はハイコンテクスト文化で言わなくても分かる共通の価値観・考え・背景を前提にされるから、よりそこから外れた場合の居場所がなくなる。

 

将来的にはある程度社会的理解が進むとは思うけど、それでもまず「生きづらさ」を持っている個人がやるべきはいかに「普通」の世の中前提にやっていくかなんだと思う。

それに対して現実的にやれることを少しずつやっていくしかない。

(これは自分への鼓舞でもある)

 

 その過程でやるべきことは、

・自分の抱える難しさの理解

・自分が直面しやすい問題の理解

・その回避方法(解決ではなく回避)

・その中で何を望むか

かなと。

最後の何を望むかは、人生の目標点で、ここがある程度ざっくりないと理想と現実に苦しんだりしがちかと思う。

自分の人生に何を望むか、どこまで望むか。

難しさを抱えている前提である程度無理のない目標を設定できると精神的に楽になる気がする。(その分多少色々と諦める覚悟は必要になるかもしれない)

 

あとは悩みを抱えているその時とそこからまた数か月後、数年後では思っている以上に状況は変わったりするので、ある程度騙し騙しができると尚良いと思う。

(騙し騙しができない状況だとこれが辛いのだが)

 

状況が見えないうちはとりあえず低めのハードルを設定しておいて、その中で少し余裕を持って考えられるようにしたい。

 

先の見えない闇は言葉に表せないほど尋常じゃなくしんどいですが、騙し騙し耐えて進んでみましょう。

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