ぼんやりブログ。

ゆるーく生きていたい。考えたことなどを書いていきます。

成功する前提の記事が多い件について

生きにくさや困りごとについて調べるとよく誰かのブログや記事が出てくるが、「こうすれば成功できる」「のし上がれる」という成功することを目指す前提の記事に、違和感を感じる

 

「諦める力(為末大)」の中でも描かれているが、そもそもみんなが成功・優勝することはあり得ず、けれど成功した人だけがフィーチャーされている

 

「努力は報われる」「夢は諦めなければ必ず叶う」

そういったフレーズは成功した人だけが言えることであって、成功しなかった人はそもそも世間の目を浴びない

 

学校のテストで考えれば全員が1位になることはまずあり得ず、また運動会でも勝つこと前提がゆえに逆に全員同時ゴールなどの事態が起こったりしていた

 

そもそもなぜ「勝つこと」「成功すること」が正義とされるのかについては、今が資本主義社会だからだと思う

普段あまり意識することはなくても、世の中の正義とされることの根っこにはそういった社会全体の方針が色濃く影響しているはず

 

想像でしかないが、AIがあらゆるものを生産し、ベーシックインカムのようなものが基本になった社会では、今の正義は正義でなくなる部分も多いと思う

例えば大勢で協力して生産活動をしなくていいなら、コミュニケーション能力もあまり必要ないかもしれない

優秀である必要性もなく、美醜も無関係、そもそも人が生きる必要性すらなくなってるかもしれない(SFチックな想像かもはしれないが)

 

とはいえ現代ではやはり成功主義、勝ち組志向な訳で、上記のようにはいかない

 

けれど、冒頭で書いたように、そもそもまずみんなが等しく成功することはあり得ず、言ってしまえば成功した者が生き残り、没落した者は置いて行かれる、ということなのだろう

 

確かに今ほど生産性が無く社会全体の貧しさがあった時代にはそれも仕方のないことだったのかもしれない

けれど今や世界中の食糧は平均すれば十分な量があるはずだし、貧富の差が開いているものの、平均すればそれなりの水準があるはず

逆にそういった差の存在は勝った個人をより豊かにはするが、社会全体の中央値(≠平均値)で考えるとむしろ貧しい方向にいっているのではないか

どうにもこう、今の世の中では従来的な競争社会であることのデメリットがメリットを上回っているような気がしていて、

みんながみんな成功、ではなく、成功ではなくてもつつましくそれなりの生活をみんなが安心してできたらいいのに、と思う

その中で成功したい野心にあふれる一部の人には結果を出した分の対価を豊富に渡してあげたらいいのでは

 

経済のことは全く分からないけれど、日本は無理して過労死などしてる場合ではなく社会全体をあるべき生活水準に一度落とすべきだと思う(一方福祉は厚く)

それは堕ちることではなく、むしろ賢い選択なのでは

”普通”ないしそれ以下に関わらず、人権や命をもっと尊重して「生きている」こと自体を「成功」と認められる世の中になって欲しい

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