ぼんやりブログ。

ゆるーく生きていたい。考えたことなどを書いていきます。

何でみんな仲良く生きられないんだろうね。

なんででしょうね。

争いって耐えないですよね。

それだけみんな自分が生きるのに必死なんでしょうね。

 

他人を攻撃する人ってよくいますけど、あれって本質的には「他人を攻撃」しているんじゃなくて「自分を守っている」んですよね。

だって人の行動原理を考えればあらゆる行動の目的は自分に対して返ってくるはずです。自分にとって何のためにもならないことを他人のためにはしないでしょうから。(それだと脳が"行動せよ"って司令を出さないんじゃないかと)

 

つまり、みんながみんな安全を確保できて、そして道徳や優しさ、思いやりなんかを学べば、争う必要はないですよね。だって「自分のため」に生きている訳で、その自分が他人を攻撃しないと得られないものを得る必要がなければ、攻撃する理由がないですし。(自分の安全のための敵打破や、快楽のための他人攻撃など)

動物として本来的に戦闘本能がある可能性はありますが、争いが嫌いな人もいますし、目立った闘争はなくなってもいいんじゃないかとは思います。

 

とはいえ、人間社会において現実的に争いがなくなることはおそらく無いと思います。そこまで全世界が豊かになって(貧しいと戦争になる)、そして同時に争いの起こらないような教育?ないし道徳的な思想をみんなが持ち合わせることは空想に近いのかなと。

そもそもDNA的に闘争意識が強い型とかもありそうですし、そうなると生まれてくるDNAから管理しないと難しいのでは。

それに人間性の中にあるずる賢さなんかがある限り、世の中からマフィア等は無くならない気もします。(今いるマフィアを全滅させても、人間という性(さが)が変わらない限りはまた別のマフィアが出て来るでしょう)

犯罪者とかもそうですし、みんな問題を犯した個人しか見ていないけど、本質的な問題はそういう問題を起こしてしまうという人間の性(さが)だと思います。そしてその性が環境や色んな背景をもとに問題行動を発動してしまう。その部分に対処しないで個人ばかり罰しているから一向に世の中から同じ問題がなくならない。(教師のセクハラ問題とか企業の不正問題とか同じようなのしょっちゅうニュースになってますよね)

人の中にある"悪性"を憎むべきで、人そのものを憎むべきではないと思うんですけどね。ここら辺は責任論と絡むのでまともな議論がされることはないでしょうが。(世の中の人は自分の利害について敏感なので、誰が悪い・悪くないの話に終止しがちです。)

 

 

山や川のような自然を見ていると、争いはなくのんびりとしていて、ところが視点を地上に戻すと人間社会のしがらみやいざこざが多くて、疲れてしまいます。

もっとみんな平和思考になったらいいのにな。なんて。

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