優しさは優しさに触れないと分からない。
人は学習していく生き物。
優しさだって同じで、優しくされた経験がないと優しくするやり方が分からない。
「良いね」って言ってもらったり、些細なことで褒めてもらったり、何もできなくても認めてもらったり、気持ちを大事にしてもらったり。
言葉では分かったような気がしても、実際にそれを体感したことがないとその本当のところは分からない。
どう言葉をかけてあげればいいのか、どうしてあげたら嬉しくなるのか。
感じたことがなければそれが分からない。
そして、優しさに触れたことがないと自分が優しさに触れたことがないことも分からない。
なぜなら、"無いもの"には気づけないから。
"有るもの"や"無くなったもの"には気づけても、初めから無ければ無いことに気づけない。
だから大人になって、人と比べた時に初めて気づく。「ああ、自分には無かったんだな。って」そしてやっと寂しくなる。
恋人ができたり、友達ができたり、大事な誰かが現れると少し優しさも学べる。
人を大事にしようとすることで、優しさそのものも学んでいく。
優しくしたり、優しくされたりすることで、"優しさに触れて"いく。
でも、そのきっかけすら掴めなかったり、きっかけがあってもどうにもできないこともある。そうなると、中々難しい。
これはとても寂しいことで、とても心細い。
人は誰しも感情の生き物で、本能的に"良い"感情を求める。
優しさ、嬉しさ、楽しさ、充実感、達成感、自尊感情。
それは生きていくために得るべきものだから。必要なものでもあるから。
そして、"良い"感情を沢山持っている人はもっと"良い"感情を得られる。
逆に、"良い"感情が少ない人は、中々"良い"感情を得て行けない。
だから、世の中はどこでも優しさが足りない。愛が足りない。
そして不足は飢えとなって、奪い合いや騙し合いすら起こる。
嘘の愛、偽善、嫉妬、暴力、金、見栄。
みんな、心の飢えが満たされない。
誰しも優しさを求めていて、圧倒的に世の中の流通量が足りない。
もし優しさを知っていて、優しさを持っているなら、まずは自分から一つお裾分けをして行くことかなと思う。
もし優しさを知らず、優しさを持っていないのなら、まずは優しさを探すことからかなと思う。
世の中において、マネーサプライならぬ、優しさのサプライが増えれば良いなと思う。