今、生について思うこと。
ここ数年は忙しくしていて、あまり何かを書く時間をとっていなかったし、とる必要もなくなっていた。
昔ほど何かを悩むことが減って、内省したりする必要も前より無くなってきたんだと思う。
人生を振り返ると思い出したくないことがかなり多いし、自分が自分らしく生きられるようになったのはここ5〜6年のことだと感じていて、それ以前の自分は自分であって自分じゃないというか、今と繋がっている感じがしなくて、どこか切り離して考えているところがある。
今では自動思考も減ったし、言いたくないことを言ってしまったり、やりたくないことをやってしまうこと、失言、自己否定、焦燥感、罪悪感といったものはほとんどなくなった。
昔と比べるとかなり生きることが楽になったと思う。
昔の自分には今こうしている姿は想像できなかったし、20歳頃に自分は30歳くらいで消えているだろうと割と本気で思っていたのが、もう今年で30歳になる。
そんな自分が今では定職について、結婚して、この春に子供まで生まれた。
当時の自分を思い出すと、とても一言では言えないほど長い時間をかけて、ここまで来たんだと思う。
そんな自分が今「生」について思うこと。
人生は全く平等じゃないし、楽しいことと苦しいことは半分半分じゃないし、生きていればいいことがあるとか、努力は裏切らないとか、そんな綺麗事がなんの役にも立たないことを数え切れないほど経験した。
はっきり言って人生イージーモードな人はいるし、逆にずっとベリーハードなままの人もたくさんいる。
そんな当たり前のことを表立って言ったりできない方がよっぽど残酷で、苦しみを人知れず抱えて苦しんでいる人はたくさんいる。
死んだほうがマシ、と本気で思うなら、きっとそれは事実だと思う。
生きていく方が何倍も苦しい状況にいる人もいて、でもじゃあ生きていても仕方ないかといえば、それについてはそうでもないと思ってる。
実際自分自身、中学生の頃に本気でこの世から消えることを考えて、でも本当に今終えてしまってもいいのかと思うとわずかに躊躇があって、その時は「もしまた将来本気でそう思うことがあったらその時にしよう」と決めて、ギリギリのところでなんとか日々を持ちこたえた。
結果どうなったかといえば、高校、大学にかけて安定している時と不安定な時の差が段々大きくなって躁鬱のような状態になり、大学の時に一度本当に危ない時もあったものの、同時に大学の時に「自分のせいじゃない」と思えるようになることがあって、その日を境に徐々に回復していき、今に至った。
自分としては中学生の頃の自分に一旦猶予をもらっていたような心持ちだったので、逆に言えばその時が来ればもうそれでいい、十分頑張った、と思っていた。
自分はたまたまなんとか持ち直すことができたから今こうしているものの、そうじゃない未来もあったかもしれないし、それが良いものだったか悪いものだったかは分からない。
それでも、自分が良くなる可能性を捨てきらないでなんとか頑張ったことは良かったと思う。
少し話は変わるけれど、自分が「自分のせいじゃない」と思えるようになったのは、変な話、色々と考え尽くす中で人類の成り立ちとか生き物が生まれた背景くらいまで遡って考えて、全部繋がって今に至るという考えが、頭だけでなく実感としてすごく腑に落ちた時だった。
自分が生まれたことも「自分で」生まれた訳じゃなくて「生み出された」訳で、自分の気質や、自分の親、周りの環境なんかも自分が選んだ訳じゃない、与えられたものだと思うと、今まで自分のせいだと悩んできたことが、実はそうではなかった、自分だけのせいではなかったと思えるようになった。
もちろん自分の意思によって起きたこととか、自分にも非がある部分もあったとしても、その割合がこれまで100自分のせいだと思っていたのが、80だったり、50だと思えるだけでもだいぶ楽になったし、ものによってはそれが30だったりもした。
大人になって色々な人生経験を積む中で、むしろ世の中自分のコントロールが効くものの方が少ないし、なるようにしかならないことの方が多いと思ってる。
例えば誰かの機嫌が悪いのは自分のせいなことは少なくて、たいていその人の問題なことが多い。
このあたりは「嫌われる勇気」のアドラー心理学なんかを読んで、よりはっきり感じるようになった。
そういったこともあって、人生はコントロールが効かないことばかりだし、言い方はあれなものの、例えるならガチャのように当たり外れはあると思ってる。
だからといって腐っても仕方ないし、やれることをやるしかないので、そういう不平等がある前提でじゃあ自分は何をするのか、何ができるのかを考えていくしかない。
時には逃げたり諦めることも必要だし、自分だけ沢山苦労して頑張らないといけないこともあると思う。
それと一生かけてもできないことはあるし、過去は変えられないし、未来も実質制限があるかもしれない。
それでも生きていくし、生きたらいいと思う。
別に人生楽しいことや社会的に成功することが正解とも思わない。
どんな生き方であれその人がその人なりに一生懸命生きたらどんな結末でもそれが立派な生き方だと思う。
そして、それを認めてくれる人は周りにいないかもしれないけど、同じような経験をした人ならきっと分かると思うし、世の中には知り合えないだけでそういう人達がどこかにいると思ってる。
と、だらだらと書いていたらまとまらなくなってきたけども、改めて、
生きていればいいことがあるとは言い切れないけど、いいこともあったし、自分の場合は良くなった、楽になった。頑張ったことが良い結果に繋がったこともあったから、報われないことも沢山あったけど、努力をしたことは良かった。
自分の場合は、自分なりに一生懸命生きようとして、それが今に繋がってはいて、結局は運かもしれないけど、そういう部分も含めて自分の人生として、良い・悪いや正しい正しくないの範疇を超えて、ただ「在る」とでも言うような、そういう受け入れ方をして、これからの人生も前に進んでいけたらと思う。