ぼんやりブログ。

ゆるーく生きていたい。考えたことなどを書いていきます。

真面目の生きづらさについて

自分の中の「真面目」が邪魔をして社会の中で生きづらさを感じることがよくあって、長年どうしたものかと思っていたところ、さっきこういうのを見つけて、ベストアンサーを見てちょっと納得するところがありました。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

言い方はきついですが、的を得ているし、なかなかこういうことをはっきり言ってくれる人はいないので、ああなるほどなと。

投稿日が古いので昔見たことあったかもですが、同じ情報でも見るタイミングで響き方が変わったりするので、今そのタイミングだったんだと思います。

 

要するに、真面目にしなくていい場面が実は結構あって、そういう時に真面目にしてしまっている時に周りから疎まれる。

無駄に周りにプレッシャーかけたりしてるんですね。

自分の中ではちゃんとやらないとと義務感すらあってやったものが、本当はその必要はなかったと。

ここは親が厳しかったりしてできた歪み、固定観念なんだと思います。

ここがもっと「普通の」、まあ厳しすぎない親だったら、この辺りの歪みはなかったんだろうなと思います。

 

あとここの部分も身に覚えがあるというか、すごく腑に落ちました

特に最後の立ち回りの部分は苦手で、全然できていないなと思います...。

 

昔から「ちゃんとしなくちゃいけない」が強すぎて、ちゃんとしなくていいところまで労力かけてて、大体物事って100点とろうとすると効率が悪くて、60~70点くらいを最小の労力で目指すくらいがきっと効率いいんですよね。

で、細かいところにこだわったりして、それが逆効果になったり。

じゃあ何が本当はちゃんとやらなくて良いのか、というのはさすがに記事とか中々見つけにくいので、ここは今後「これはどこまで最低限真面目にやればOKか?」を都度意識してみて少しずつ掴んでいければと思います。

 

---  追記

あの後色々考えてみて、そもそも自分の「真面目」は「ちゃんとしなくちゃ」や「不安感」からくるもので、自ら自然と望んでなったものでなく、そこが一番の原因な気がしました。

自分の不必要な「ちゃんとしなくちゃ」が滲み出て、周りにプレッシャーかけてると思いますし、自分自身も本当は気を抜きたいです。

じゃあなんでそうなったかと言えば、自分の場合は子供の頃の親の不必要な厳しさなどがあったと思います。

細かい一例でいうと、

  • 玄関の靴をきっちり揃えないと怒られる
  • ちゃんと勉強して良い点をとらないと怒られる
  • 硬筆、毛筆の課題で金賞とか銀賞をとるくらいまで何度もやり直しをさせられる
  • 気を抜いているとその時の親のイライラ具合で急にキレられる

などあり、家にいると常に親に警戒心をもってビクビクしていました。

「ちゃんとする」ことでようやく生存権が与えられるというか、普段がマイナスで人並み以上のことをしてやっとゼロになる感覚で、それは今もあり、仕事も評価が高くないといけない、という不安感があります。(平均レベルではいけない、という感覚)

ここの認知の歪みが色んな弊害を生んでいて、周りに嫌われる原因にもなっているなと。

昔から羽目を外すのが苦手で、気を抜いたり、ちゃんとしてないと怒られる、という緊張感が常にあります。(きっと普通じゃないですね・・)

 

 

今思うと、気を抜いてゲームをするのもここ数年でやっとできるようになり(それまでは遊んじゃいけない意識が強くてこういうことができなかった)、子供の頃から気になっていたドラクエを初めてプレイしたのもほんの4年前くらいでした。

そこから少し遊べるようになってはきたので、少しは前進できたのかもしれません。

 

ただまだまだ「ちゃんとしなくちゃ」が強く、「ちゃんとしてない自分でいいんだ」、という感覚が持ててないので、徐々にしか進めないと思いますが、ここをもっと受け入れられるようになっていけばと思います。
(正確には全部をちゃんとしなくていい、ではなく、ちゃんとしなきゃいけない部分を最小限にしていって、ちゃんとしなくていい部分も増やしていく)

そうすれば、自己肯定感も低いので、そこも一緒に改善されていくのかなと。

 

まだ数年かかりそうですが、気長に改善していければと思います。

【スポンサードリンク】