ぼんやりブログ。

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正義感なんてものは早めに捨てた方がいい

※この記事はいわゆる「真面目」「正義感が強い」というタイプの人向けの記事です。(そういう言葉で書いてます)なので、それ以外の人が読むと感じ方に違和感があるかもしれないです。(時間立って改めて見返してみると自分でも表現に違和感を覚えますが、だからこそあえて当時の自分にはこれくらい誇張気味にさせてください)

これまで

これまで、「何が正しいか」「どうしたら全体にとって良い方向になるか」をもとに「何をすべきか」、「どうあるべきか」を考えてきました。

けれど、ここから考え始めると行き着く先はいわゆる”正論”になってしまい、実際には人生における色々な場面で反発を受けることも多かったです。

 

そもそもなぜそういう軸で物事を考えるようになったかを思えば、”正しい世界”が心地よく、好きで望んでいたからこそという側面も。

でも、自分としても、むしろそうしないといけないと思ってきたし、悪気はなければむしろ自分に厳しく頑張ってきました。

また、現状こういう状況でも、全体にとって(会社や組織にとって)良い結果になれば、その”正しさ”は報われると思ってきました。

しかし、度重ねて色々と経験してきた結果、この考えは誤りだという判断を下すことにしました。

 

現実では、やはり改めて”正しさ”が報われることはまず無く、空気を読み、突出しないこと(その結果成果が落ちたとしても)が第一で、優秀な社員とは基本的に平均点+αくらいの人物か、逆に突出し切っている者の2パターンになるかと。

そして恐らくこれは全体の99.9%くらいはそうかと思います。(本当はもう少しそうでなかったとしても、表に出す人はまずいないし、これまでの個人的な体感的にはこれくらい)

つまり、1000人いたら1人くらいはごくまれに正義感の強い真面目な人もいて、悪気なく皆の中の正義を信じようとしているが、他の999人はそうでないので、余計なお世話でありいい迷惑ということになります。

また、これは平社員だけでなく会社の上層部含め漏れなくそう思っていいと思います。(真面目は真面目だとしても、思っているような"真面目"とは定義が違うと思います)

 

とりあえず、いわゆる真面目で正義感の強いタイプの人は、今一度自身が思っている以上に皆同様の正義感は持っていないし、求めてもいないことを自覚した方がお互いにとって良いことなんだと思います。

ここに気づきにくいのは、こういう事は表の世界ではまず言われないし、皆建前上は正義を是とするからだと思います。

私自身は、本当に何度もこの事で失敗を繰り返して、やっとこう思えるようになってきました。(諦めがついてきた)

 

これから

じゃあかといって、これからは正しさを無くして生きていくのかと言えば、そうしなくて良いし、性格的に実際無理だと思います。

ただ変わるのは、人に正しさを求めないこと、期待しないこと。(むしろ自分の方がかなり変わり者で少数派だと自覚すること)

もちろん一番良いのはその貴重な正義感と真面目さが活きる立場になることだけども、実際それが難しいうちは、無難でいた方があまり辛い思いをしなくて良いと思う。

もはや言ってしまえば強い正義感は一種の持病(はたまた趣味)くらいに捉えてしまって、ふつふつと湧き上がってくるたびに「ああまた出てきたな」と俯瞰する位が丁度いいと思います。

とはいえ、望ましい方向が見えているとしたらそれは特技だし、弱く言う分には案外受け入れてもらえることもあるかもしれないです。実際全く無いのも問題でしょう。(強すぎるのが問題)

基本的には胸の内に置いて、使い所を選べるようになればきっと武器になると思います。

と、こんな風に意識を変えてこれからやって行ってみようと思いました。

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